天変地異から朝市へ(1)
株式会社ムサシの経営者になってから4年半がたち、それとはいっけん無関係に、来週には東日本大震災の3月11日がまたやってきます。 「こらぁ……日本壊滅か」 という思いでTwitterの更新ボタンを連打したあの悪夢からもう8年がたつわけです。
いっぽうで、いまわたしが運営しているオープンデパート朝市というのは、じつは災害時の避難所・交流拠点としての機能も持たせようとやっているんです。そんなこと知らなかったでしょ。だって言ってないからね(笑)。
いまわたしがこうして経営者をやっていたり朝市を運営していたりするのには、自然災害がおおきくかかわっています。そこで、週末のオープンデパート朝市もなんとか軌道にのってきた、いや、のりかけてきたってかんじか。というところで、ひとつ語ってみます。
今週から来週にかけてムサシの社長というよりは、ふつうの人よりずいぶん災害・自然の猛威と濃くつきあってきた一個人の経歴・経験としても文章でふりかえり、これまでの来歴的に記録しておきたいんですね。
おそらく5回くらいの連載になりますが、ひょっとすると興が乗って50回くらいに延長するかもしれません(これがWEBメディアのいいところ)。
しばらくおつきあいのほどを、というわけで、さいしょに株式会社ムサシと災害が交わったのは1995年、阪神淡路大震災でした。このときムサシは全社をあげて給水ボランティア活動をやったのです。会社が仕事を休んでボランティアをやるというのがどれくらいたいへんなことなのかそのころはわかりませんでしたが、中小企業としてはなかなかのものだったんじゃないでしょうか。
たしか毎日神戸市まで加古川からトラックで毎日銭湯だったか自衛隊の風呂だったかに水を運んだと記憶しています。 ──とまあ、そのころの話からはじめてみたいとおもいます。そのころの写真でも探してみようかな。
てなわけできょうはイントロダクションまでにて。 ま、そこそこお楽しみに。
(岡本 篤)