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■ムサシと災害の話をします 天変地異から朝市へ【岡本篤】(2)

天変地異から朝市へ(2)阪神大震災での給水作業 
2019/03/09

 株式会社ムサシも、阪神大震災のときに当社に在籍していた従業員はもう少なくなりました。25年ちかくも前になります。

 とにかく水が足りないという現地の状況を知って、給水活動に従事しました。加古川市の水道局とかけあって水を調達し、水タンクを自社トラックに(といってもブリキ製の巨大米びつ)に大量購入。水を満載して神戸市の激甚被災地となった長田区周辺の蓮池小学校などに配達をしていたようです。

 避難所になった小学校と、その周辺で営業を再開しようとしていた銭湯に給水活動をおこなったということです。加古川からの運搬だけではなく、被災地域内で水の調達もおこなったようです。

 当時の活動を記録したビデオを当社の副会長(わたしの叔父)が出してきてくれました。それを見ると、トラックを何台も連ねて長田区周辺に乗り込んでいくようすが写っています。運送会社のトラックも調達したそうですので、自社トラックといっしょに配送活動に従事していたのでしょう。

 この阪神大震災が株式会社ムサシが災害とダイレクトにつきあう初めての経験になりました。

 このときわたしは大阪の箕面市に住む大学生で、ムサシの神戸での活動には参加しませんでした。交通路が寸断されてしまって加古川に帰るのも困難になってしまったのもありますが、しかしそれよりも、そもそも遅れてきた反抗期みたいにヒネた学生生活をおくっていましたので、神戸の被災地は1回バイクに乗って見にいった記憶があるだけです。

 それというのも神戸に知り合いがあまりいなかったんですよね。自分にとって神戸という街にそれほど思い入れもなかったし、大災害というのものにたいしてどう動いていいのかもわからなかった。つまりは経験も能力も不足したガキだったってことです。

 しかし、この後の人生で阪神淡路大震災の歴史的な重みを知るにつけて、「何もしなかった」というのはかえって重い体験になっていきました。

 東日本大震災が起きたとき「なにがなんでもすぐに現場に行きたい」と思ったのも、阪神淡路大震災のときのこの経験が遠因にあった気がします。(岡本 篤)

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